注意:当ページに掲載している文章は2002年4月から同年秋頃までに日記風に書いたものです。
第一章:こうして「輝きの海へ」は生まれた!!
私のホームページによく遊びに来てくださる皆さんならば,私が千葉県市川市立新浜小学校吹奏楽部のために《吹奏楽のための音詩 輝きの海へ》を書き下ろしたことは既にご存じだと思います。
作品については『主要作品』のコーナーで詳細(上記の作品名をクリック)を載せていますが,このページでは顧問の田川伸一郎先生と新浜小吹奏楽部の子供たちが作品に意欲的に取り組んでいる経過をお知らせします。
子供の可能性は無限だ!
2001年11月に開催された「千葉県吹奏楽祭」で《March-Bou-Shu》(千葉県吹奏楽連盟創立45周年記念委嘱作品)がアンサンブル市川によって初演されるという連絡を頂いたので,私は初演に立ち会うため会場にうかがいました。その際,偶然同演奏会に出演していた新浜小学校吹奏楽部の演奏を聴かせて頂きました。小学生離れした芸術的な演奏に驚き指揮者を見ると,かつて市川市立大柏小学校吹奏楽部を「こども音楽コンクール三年連続文部大臣奨励賞」に導いた田川伸一郎先生が指揮をされているのです。私は学生時代,サントリーホールで開催された「日本の吹奏楽の祭典吹楽II」において,田中賢さんの「紅炎の鳥」を大柏小が演奏するのを生で聴き,信じられない感動を受けたことを覚えていました。ですから新浜小の素晴らしい演奏も“なるほど!”と,納得いくものでした。小学生の持つ無限の可能性に心を打たれ,自分自身も気が引き締まる思いでした。
田川伸一郎先生との出会い!
「千葉県吹奏楽祭」は盛大なものになり,全てのプログラムも無事終了となりました。打上げの席には《March-Bou-Shu》の作曲者として私もお声をかけて頂いたので,喜んで出席させて頂きました。打上げの席には中学時代から名前を存じ上げている有名な先生方が多数出席していて私はとてもドキドキしていました。しかし中学時代の吹奏楽経験や《March-Bou-Shu》のコンセプトなどで会話が進むに連れ,「実は昔,吹奏楽部で~」などという共通の話題もたくさん見つかり,楽しい時間を過ごすことができました。
時が進むに連れ各先生方にご挨拶をしていると,田川先生も出席されていることに気がつきました。私は面識が無いにも関わらず学生時代,大柏小吹奏
楽部の演奏に感動したこと,何よりも数時間前の新浜小吹奏楽部の芸術的な演奏に心を打たれたことをお伝えしたく,勇気を持って話しかけてみることにしました。すると突然話しかけてしまったにも関わらず,田川先生は笑顔で対応してくださり,大柏小での体験や新浜小での指導方針などを丁寧にお話してくださいました。また何より嬉しかったのは私の《ディメレンタスII》(1996)などの吹奏楽作品を田川先生がご存じだったことです。私の作風も気に入ってくださっているご様子もあり,大変嬉しく会話が次々に進んでいきました。
子供たちのために新作を!
田川先生と初めてお話した際に「来年のメインで演奏する(コンクールなどで使用する)作品がなかなか見つからなく困っています」という選曲の苦労話はお聞きしていましたが「新浜小学校のために新作を書い頂くことは可能ですか?」というお言葉には嬉しさと共に驚きがありました。なぜならば,私としては田川先生から依頼を頂けることは光栄なことですが,まだ26歳の新人作曲家に一年かけて練習する作品を任せてしまって良いのだろうか?小学生は高校生とは違って次から次へと多くの曲を練習することは技術的にも精神的にもできないし,一度メインと決めてしまったらいくら選曲ミスと途中で判っても変更は許されない。こんな重大なことをまだ数曲しか吹奏楽作品を書いていない新人に依頼してしまって本当に良いのだろうか?!!!!と私は自問自答しました。
私は重大な責任感のもと作風を田川先生にもっとご理解頂くためにも,未出版の吹奏楽曲を集めた音源をお聴き頂くことにしました。音源をお送りして数日後,「《吹奏楽のための抒情詩秋風の訴え》(2001)の中間部や,《ピアノと吹奏楽のための協奏的組曲》(2000)の二楽章のようなコラールを最大限に生かした作品を書いて頂けませんか?もう既に具体的に書いて頂きたいイメージがあります。」という内容のお手紙を頂きました。そしてお会いした際に
田川先生が子供たちのために構成した作品構想案を頂きました。依頼文には曲名〔吹奏楽のための音詩輝きの海へ〕,演奏時間〔6分40秒〕,楽曲形式〔三部形式「キラキラと輝く朝の海」「荒れ狂う嵐の海」「優しく包み込むような雄大な海」を表現〕,編成なの詳細が明記されていていました。田川先生は「失礼なことは十分承知していますが,なんとかこの構想で書いて頂けませんか?そして,子供たちが多くの困難をも乗り越えて希望のある未来へと向かってほしいというメッセージを込めてたものにして頂けませんか?」と真剣にお話されていました。私も「注文通りの品物を創れて始めて作曲家と名のれる!!」と常日頃から思っていましたので,喜んでこの作曲を引き受けさせて頂きました。
作品が完成!!
2002年4月上旬,市川市立新浜小学校吹奏楽部委嘱作品《吹奏楽のための音詩輝きの海へ》のスコアがようやく完成しました。本来,もう少し早く完成させるはずだったのですが,ミュージカル「いちかわ・真夏の夜の夢」の制作や突発的な編曲の仕事が多数舞い込み,頭の中では音楽になっていても楽譜としてはなかなか形にならなかったのです(田川先生遅れてスミマセン)。
また,新浜小が一年かけて演奏するメイン曲の作曲ということで,正直なところ多くのプレッシャーもありました。「これじゃ全然海の情景が見えない!!」
「嵐はこんなものじゃない!!」などと何度も「オレってダメだな…」と悩み落ち込みました。しかし,新浜小吹奏楽部の練習にお邪魔した際に見た,子供たち
の熱心な演奏や音楽に対する真剣な姿勢が目に浮かび「絶対に田川先生と子供たちが感動してくれる曲を書くぞ!!」と何度も思い考え直しました。その結果と
して,この《吹奏楽のための音詩輝きの海へ》が生まれたのです。
誕生日(4月3日)をまたぎ27歳になったものの,まだまだ人生経験が少なく未熟な作品ですが,田川先生と新浜小の子供たちのために精一杯気持ちを込めて作曲させて頂きました。この気持ちだけは誰にも負けないつもりです。
模範演奏が無い!!
田川先生にスコアをご覧頂き子供たちの技術で演奏可能かどうかを検討して頂き,いくつかの要望なども加え変更し,遂に最終稿が完成しました。そしてパート譜も完成しスコアと共にお渡ししたまでは順調でした。が,参考音源のない作品の練習は思ったよりも難しいというご連絡を受けました。現実的に考えて,田川先生はスコアからイメージを感じ取れたとしても,新浜の子供たちがスコアリーディングすることは,さすがに不可能なことです。私も参考音源はいずれ必要になるであろうことはある程度予測していたので,「楽譜を信頼できる団体に特別に渡し,参考音源を作って頂きましょうか?」と田川先生に打診してみました。すると「可能ならばぜひお願いします!とても助かります。」とのことだったので,最も交流の深い千葉県立市川西高等学校吹奏楽部に早急に音出と録音をお願いしました。
同校顧問である吉田直先生と吹奏楽部には《March-Bou-Shu》の楽譜校正を始め,私が出版する際の楽譜校正などを何度もお願いしたことがあり最も交流が深いバンドです。何よりも吉田先生が新譜好きということで吹奏楽情報源としてもお世話になっているのです。今回の件も「八木澤さんの新譜!!やりますよ~!」快く引き受けてくださり大変助かりました。もちろん,とても素晴らしい参考音源を作って頂きました!!この場をお借りしまして深く御礼申し上げます!!
●市川西高校吹奏楽部と私の交流についてはアルソ出版より発売の雑誌「The Clarinet〔第9号〕」「The SAX〔第4号〕」をご覧ください。
新浜小へ自作を聴きに!!
6月17日に初めて新浜小の《輝きの海へ》を聴きに行くことになりました。6月23日に開催される,第2回千葉県西部地区吹奏楽フェスティバルで世界初演す
るに向けての猛練習です。実は新浜小は6月9日に君津で行われた本番では別の作品を演奏していて《輝きの海へ》に取りかかったのは10日からとのことでし
た。二週間で世界初演に向けて練習することは高校生や一般バンドでも難しいし,そんなハードなスケジュールを子供たちが実行することは可能なものかと半信半疑でしたが,音を聴き「新浜には不可能なことはないのだな…」と言葉を失いました。特に中間部の「荒れ狂う嵐の海」では作曲者の私ですら嵐めいた恐怖の情景が目に浮かびました。同時にここまで作品の意図を理解し,ご指導されている田川先生と一生懸命に要求に答える子供たちに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
友人を連れて!!
3日後の6月20日に小学時代からの親友である風間学氏と新浜小へ向かいました。彼は音楽家ではないのですが中学時代に吹奏楽部で共に一つの音楽を目指した仲間です。お互いの進む道は違ったものの,お互いの一番の理解者であり,多くのことを共に体験した友人です。そんな彼が「新浜小の練習を見てみたい!」と大変興味を持っていたもので,練習に連れて行くことにしたのです。風間に対しても田川先生は快く歓迎してくださり,練習後は食事をしながら多くのことをお話しました。田川先生と別れた後,風間とは朝まで飲み明かし,いつも以上に色々な話しました。「小学生に負けられないな!」「人生に不可能はないな…」など,子供たちの惜しみのない意欲と情熱に彼も心を打たれた様子でした。第2回千葉県西部地区吹奏楽フェスティバルでは新浜小の音楽で聴衆は感動に包まれるであろうことを確信し,安心してお酒を楽しませて頂いた(次の日が二日酔いだったことは言うまでもない―風間は会社なのに…)。
いよいよ世界初演!!
6月23日(日),市川市文化会館大ホールで『第2回千葉県西部地区吹奏楽フェスティバル』が開催されました。名のごとく出演団体は千葉県西部地区の団体が多数集まりました。習志野高等学校,市川西高等学校,アンサンブル市川,ブラスムジークシュベルマーなどのバンドと共に新浜小も参加する機会を得て,いよいよ《輝きの海へ》を世界初演することになりました。実はこの初演日には残念ながら私は立ち会うことができませんでした。半年前より東京オペラシティリサイタルホールで開催される『語りと音楽の世界』という演奏会に出演することが既に決まっていたからです。それは友人である神長一康さんの新作をリコーダー奏者として演奏することになっていたのです。大学時代,私はまだ作曲家として仕事が少なかったので,リコーダーの演奏家として仕事をしていた時期がありました。当時より神長作品の初演を何度も任されていて今回の新作でも微分音や重音奏法など特殊な演奏方法ばかりなので,他に信頼できる奏者がいないと半年前より頼まれていたのです。私は誰か代理の演奏家を探そうとも思いましたが,友人とはいえ一度引き受けた仕事をお断りするのも失礼なので,新小の初演には親友の風間に代わりに聴きに行って頂きました。
夜になり風間や当日出演していた団体の知人,そして市川西高校の生徒たちに新浜小の初演の様子を伺うと「あれは誰もが感動していたよ。小学生があそこまで演奏できるとは…」「目を閉じると小学生の演奏だとは判らない。むしろ海の情景を楽しませて頂いたよ」など反応がとても良く私も嬉しくなりまし
た。私も自宅のパソコンでメールを確認すると「楽譜を貸してください!」「新浜小は次はどこで演奏するのですか?」「うちのバンドでも演奏したいです」などこれまでの作品の初演時よりも反響が大きく驚きました。そして同時に田川先生と新浜小の子供たちは素晴らしい演奏をしてくだったのだなぁと,改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。初演には立ち会えなかったことは今でも残念に思っていますが,お聴き頂いた皆様からのご感想を伺うことで,とても充実した気持ちになり自分自身の今後への意欲にも繋がる一日となりました。
本当にありがとうございます!!!!!
初演の演奏をカセットテープで聴いて
7月4日,田川先生と別件の打ち合わせがありお会いすることになりました。その際,「先生,先日の初演の音源を持ってきました」と田川先生が笑顔でカセットテープを渡してくださいました。「がっかりしないでくださいね!」ともおっしゃっていましたが,私は早く聴きたくてたまらない気持ちになってい
ました。自宅に帰るとすぐにオーディオにカセットを入れ流してみました。すると最初に新浜の子供が自ら演奏する作品の紹介を始めました。その内容には私にオリジナルの作品を委嘱したこと,モデル演奏がなく市川西高吹奏楽部に協力して頂いたことなどが含まれていて演奏を聴く前から私はグッときてしまいました。6分半ほどの演奏を聴き私は心から感動しました。私が思い悩みながら書いた「キラキラと輝く朝の海」「荒れ狂う嵐の海」「優しく包み込むような雄大な海」が見事に表現されていて「新浜小のために新作を書いて良かった!」と心から満足感を得ました。そして何度も演奏を聴き返し田川先生と初めて出会った時からの想いを回想しました。感謝の一言です。
これから新浜小はコンクールに向けて益々厳しい練習になると思います。
私も作曲者として子供たちを見守り応援したいと思っています。
このページでは今後一年間の新浜小の活動を皆様に随時お知らせしたいと思っています。
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